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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)823号 判決

原告 東京出版販売株式会社

右代表者代表取締役 赤尾稔

右訴訟代理人弁護士 野村七郎

被告 町田盛雄

右訴訟代理人弁護士 井本良光

主文

被告は原告に対し金二〇〇万円およびこれに対する昭和四五年三月一四日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実

(当事者双方の申立)

原告は「被告は原告に対し金六九一万七、五三〇円およびこれに対する昭和四五年三月一四日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え」との判決を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

(請求原因)

一、原告は出版物取次販売卸業を目的とする株式会社であり、訴外古川尾之助は小売書店を経営する者であるが、原告は昭和三三年九月から継続して同訴外人に書籍雑誌を卸売りしてきた。

二、原告の右訴外人に対する売掛残代金は昭和四四年九月三〇日現在金八〇一万九、四四五円で、同訴外人は同年一〇月三〇日付の弁済契約書によりこれを確認したが、その後の取引により右売掛残代金は同年一一月末日現在で、別紙計算書記載のとおり、金八九一万七、五三〇円になった。

三、被告および訴外木村登志彦は昭和三三年九月一日に原告と古川尾之助との前記の取引に関し、同人の債務を同人と連帯して支払の責に任ずべき旨原告に約束していた。

四、よって、原告は右連帯保証契約に基き、被告に対して右売掛残代金のうち、まだ回収のできていない金六九一万七、五三〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四五年三月一四日から右完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する答弁および抗弁)

一、請求原因第一項、同第三項の事実は認めるが、同第二項の事実は知らない。

二、被告は昭和三三年九月一日ごろに原告主張の連帯保証をしたが、被告の保証責任はすでに消滅している。

(1)、すなわち、被告は古川尾之助の依頼により、連帯保証とはいえ全く形式的なもので被告には絶対に迷惑はかけないからというので、連帯保証の書類に署名捺印して同人に渡したのであるが、その当時の同人の小売書店は極めて小規模で、同人と原告との取引の規模も小さくて、同人が原告に差入れた信認金も金一〇万円にすぎず、しかも、その取引の約定によれば、代金の支払は一ヶ月二回締切で締切後一〇日以内に全額を支払わないときには送品停止あるいは減数ができること、取引中止の場合には直ちに全債務を支払い、万一残債務があるときは原告は在庫品を引揚げうること等が定められ、極めて厳格な取引条件であった。そして、被告の保証債務の範囲も当然右の取引規模における右のような条件の取引に関するものであった。

(2)、被告は右のように連帯保証の書類に署名捺印しただけで、その後、原告と古川尾之助とがどのような取引をしていたか全く知らなかったのであるが、古川尾之助は次第にその事業を拡大し、店舗も本庄市内の目抜き通りに移転して、住宅とは別個に店舗を構え、使用人も増加して本庄市屈指の大書店となった。そして、原告との取引も当初の契約に定めたようなものから、莫大な未払を繰越しつつさらにつぎつぎと莫大な商品を仕入れ、随時支払っていくという方法に変化した。

(3)、右のように取引の形態内容が変化したのは古川尾之助の営業状態、信用状態に対する原告自らの判断に基くものであって、これにより、被告が当初に保証をした取引とは別個の取引となったもので、被告の保証債務は消滅に帰したというべきである。

そして、その時期は、右のような取引内容に変更された時期であり、遅くとも本訴請求の債権の発生よりも前であることは確実である。

三、かりに、被告の保証債務が消滅しないとしても、原告主張の本訴請求債権は被告の保証の範囲に属しない。

すなわち、被告が保証をした当時の原告と古川尾之助との取引は前記のとおり小規模でかつ、取引条件の厳しいものであった。

しかるに原告は、前記のような厳しい代金決済債権担保の方法をとらず、古川尾之助に対する自らの信用判断に基き繰越延払を承認しつつ巨額の債務を積み重ねていったにもかかわらず、取引上の通念に反して被告に唯一回の連絡も通知もなく十余年を経過してきたのであるから、このような取引によって生じた債務については被告には支払いの責任がない。

四、かりに右主張が認められないとしても、原告の本訴請求は著しく信義則に反し、権利の濫用である。

(1)、被告は前記のとおり形式的保証人という程度で簡単に書類に署名捺印したのであるが、原告も保証人につき資産その他の条件を全く調査せず、本人に問合わせ等もしなかったことからすると、おそらく保証人は重要視せず、前記約定の厳格な取引条件に重きをおいたものと推察される。

(2)、ところが原告は取引約定に依拠せず放漫ずさんな取引をしてきた。多額の債務を生じたことはむしろ原告の不注意によるものといえる。

(3)、取引の規模、内容、形態等が著しく変り、被告の責任に重大な影響があるのに長い間何らの通知連絡もしない。もし通知があれば、被告としては当然保証契約の解除をしたはずである。

(4)、被告は当六九歳の老令であり、しかも七年前から老人性白内障になやまされながら木造平家建トタン葺四九・六八平方メートルの粗末な家屋(原告により仮差押されている)で細々と表具師をし、老夫婦二人暮しをしているもので他に家族はなく、資産もない。もし、被告が原告主張の莫大な債務により右家屋を失うようなことになれば老夫婦は直ちに露頭に迷い、真に悲惨な人生を送らなければならなくなるのである。

(抗弁に対する答弁および反論)

一、被告主張の抗弁事実中、古川尾之助が繁華街へ移転したこと、原告と同人との取引額が増大したことは認めるが、原告が放漫ずさんな取引をしていたとの点は否認する。

二、原告と古川尾之助との取引額が増大したのはインフレによる物価の昂騰の結果であって、原告の責任によるものではない。

三、また、古川尾之助は昭和四四年一二月ごろに倒産したが、被告は同人の店舗から一〇〇メートルぐらいの所に居住していたのであるから、同人の営業状態は知悉していたはずで、もし責任の重大さを恐れるならば、同人の営業状態を債権者である原告に通告し、あるいは保証契約の解約に及ぶべきであった。

(証拠)≪省略≫

理由

一、請求原因第一項、同第三項の事実については当事者間に争いがない。

二、そして、≪証拠省略≫によれば古川尾之助は原告との本件書籍雑誌の取引により、昭和四四年一一月末日現在、原告に対して金八九一万七、五三〇円の売掛残代金債務を負担していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

三、被告は、被告のなした連帯保証債務は消滅したと主張するのでこの点について判断するに、被告のこの点についての主張は要するに被告が連帯保証をした当時の古川尾之助の経営する書店は小規模で、原告との取引も小額であったのに、その後これらは増大し、また売掛代金の支払い方法も当初よりも緩かなものになったから、当初の取引とは別個の取引になったものであるというにあり、取引額が増大したことは原告も自認するところであるけれども、被告主張の事実のみでは当初の取引とは別個の取引に変更されたとはにわかに断定できず、他に右変更の事実を認めるに足りる証拠もない。

四、つぎに、被告は、原告主張の債権は被告が保証をした当時に予定された取引の形態、内容と著しく異る取引から生じた債権であるから、被告の保証の範囲に属しないと主張する。しかしながら、被告のなした連帯保証契約は原告と古川尾之助との継続的取引関係から生じた古川尾之助の債務に関するもので、弁論の全趣旨によれば、右保証契約はその保証の限度額および保証の期間の定めのないものであることが認められるが、このような保証契約の場合には連帯保証人は相当の期間が経過したとき、または当初に予定されなかったような事情が生じたときにはその保証契約を将来に向って解除(告知)することができるのであるから、これをしないで放置した場合に、他に特段の事情もないのに全く責任を免れると解することはできない。そして、被告が右の解除をしたとの事実、または、解除をしなくとも責任を免れうる特段の事情を認めるに足りる証拠はない。

五、ところで、右のように保証人はその責任を完全に免れることはできないと解するとしても、限度額や期間の定めのない保証契約の場合には、保証人の責任は主たる債務者の負担した債務の全額に及ぶものではなく、当該保証のなされた事情、保証される取引の事情等を総合的に考慮してその範囲を合理的な限度に制限するのが相当である。

そして、≪証拠省略≫によれば、古川尾之助は原告と取引を開始するにあたり連帯保証人である被告および訴外木村登志彦と連署のうえ、昭和三三年九月一日ごろに取引約定書を原告に差入れたことが認められるが、右約定書には売掛代金の支払い方法として毎月二回締切り締切後一〇日以内にその全額を支払うこと、代金の支払が遅れたり不十分な場合には送品の停止または減数があっても異議はないとの記載のあることが認められ、また、≪証拠省略≫によれば、古川尾之助は右取引開始にあたって、原告に信認金という名目のもとに金一〇万円を差入れたことが認められ右認定に反する証拠はない。

また、被告本人尋問の結果によれば、被告が連帯保証契約をした当時の古川尾之助の書店は人形店を兼ねた小規模のものであったことが認められ右認定に反する証拠はなく、また古川尾之助がその後店舗を本庄市内の繁華街に移転したこと、原告との取引額が増大したことについては当事者間に争いがない。

一方、原告が昭和三三年ごろに連帯保証人である被告の資産状況等を調査したことはなかったとの事実は原告のあきらかに争わないところであり、また≪証拠省略≫によれば、原告と古川尾之助との取引額は昭和四三年ごろには月額金二〇〇万円前後にまで伸びており、同年三月ごろまでの同人の代金支払いも良好であったが、同年四月ごろからは次第に支払率が低下し(同月月末の未払残代金は約一七九万円であった)、同年暮ごろには原告は同人との取引を制限するようになり、それでも従来の支払率が良好であったことから取引を継続したが、やはり支払率が悪く、昭和四四年四月には未払残金が約五六〇万円、その後も未払残金が増加し、同年一一月には約九〇〇万円に達したことが認められ右認定に反する証拠はない。

また弁論の全趣旨によれば、被告と同じように原告に対し連帯保証契約をなした木村登志彦は、原告に金二〇〇万円を支払って示談をしたことが認められる。

以上の事実を総合すると、被告が原告に対して負担すべき保証債務は金二〇〇万円を越えるものではないと解するのが相当である。

六、最後に、被告の権利濫用の主張について判断するに、被告本人尋問の結果によれば、被告の生活が老夫婦の二人暮しで決して楽なものでないことは十分に認められるのであるが、原告が古川尾之助との取引を放漫に継続してきたとの事実を認めるに足りる証拠はなく、また、被告の資産状況を調査しなかったこと、取引額の増大を被告に通知しなかったことは原告にそのような義務があるわけではないから原告の本訴請求を前記の金二〇〇万円の限度で認容する限り被告の右主張は採用できない。

七、以上のとおり、原告の本訴請求は金二〇〇万円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四五年三月一四日から右完済まで年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので、右の限度で認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 定塚孝司)

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